今日気になったニュースはこれ
昨年、「安楽死」を選択したパラリンピックメダリストのマリーケ・フェルフールトさん(享年40歳)に関するニュース記事です。
正直、当時はこのニュースを知らず、最近また話題に上がってくるようになったときに目を通しました。
元々、考えていた「安楽死」のイメージが崩れたので、今回はこのお話をしたいと思います。
約束された安楽死【人の「安楽死」について考える、そして生き様を考える】
まず私は「安楽死」については賛成です。
今回の記事を通して、その想いは強くなりました。
そして、自殺のような「安楽死」には反対です。
この違いは、希望を与える「死」です。
今回の記事で主役となっているマリーケ・フェルフールトさんは、「安楽死」という手段を持つことで「生」を充実させることができました。
20歳から車いす生活に加えて、常に体が痛むような病気だったのですが、「安楽死」できる手段を手に入れ、競技に打ち込むことができたようです。
安楽死という選択肢があったことが、マリーケに生きる喜びと底力を与えた。逆説的ではあるが、マリーケ自身がそう語り続け、両親もこれに同意する。
と記事でも書かれておりました。
こういう希望のある「安楽死」は手段としてありだと私は思います。
我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、 死においては平等である
「我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、 死においては平等である」
こちらはドイツの教育者ロレン・ハーゲン氏の言葉です。
「死」は誰にでも訪れるのです。
なので、この「死」が訪れるまでに私たちは一生懸命生きるのです。
人生というマラソンを走るのです。
ペースを上げ過ぎれば息が上がってしまいます。
しかし、苦しまずに人間はペースを上げることができる瞬間があります。
それはゴール手前のスパートです。
いわゆる、「死」の時期が分かることでスパートをかけるタイミングが明確化されるのです。
いつでもゴールできる、それが今回のマリーケさんにとっての約束された「安楽死」なのだと思います。
なので、マリーケさんにとって一番人生で重要な場面でラストスパートをかけることができたのだと思います。
人が人生の一番大事なときに走り切るための「安楽死」。
私はいいんじゃないかなと思います。
どんどん弱っていく身体を前にするときには、その一瞬を無駄にしないために良いと思います。
ただ、私たちはまだ生きています。
大きな病気もせずに生きている方は多いと思います。
こういう人が選ぶ「安楽死」は違うと思います。
それは「安楽死」ではなくただの「自殺」です。
夢も希望もない「死」です。
なので最後にもう一度。
生きる人に「希望」を与えるための「安楽死」は前向きで、人として素晴らしい選択だと私は思います。
約束された安楽死についての話でした。
また、明日もよろしくお願いいたします。